陰翳礼讃という自然を生かす日本ならではのアート的感覚から学ぶマインドセット!

 

どうも。

小川です。

 

本日は日本のわびさびを極めた

 

陰翳礼讃

 

についてお話ししようかと。

 

陰翳礼讃。

 

また、難しい言葉だなと思うかもですが、

この言葉は、田崎潤一郎さんの随筆の名前で、その意味を噛み砕くと、

 

陰翳=影や暗さ

 

それ自体を

 

礼賛=ウェルカムしようぜ!

 

という意味になります。

 

これは、日本人の美意識のポイントをついてるんです。

 

西洋は暗がりや闇を不浄のものとして、

徹底的に光である明かりによって、その暮らしを照らしてきました。

 

しかし、日本では、

暗さや闇を自然のものとして受け入れ、その美しさを生かすもの

(黒塗りの食器=日本家屋の暗がりのなかのわずかな光が差し込み風情がでる)

 

を生み出し、

 

自然との調和を重んじたんです。

 

清濁を完璧に分ける西洋の考えに対して、

 

清濁を分けず、同一のものとして扱う東洋的な美意識。

 

これは、陰と陽を同じととらえる考えにも通じますよね。

 

この考え方、

 

完璧主義過ぎる人におすすめです。

 

西洋的な、善も悪も分けて、

 

これもダメ、あれもダメとやっていると、

まったく行動に結び付かない場合が非常に多いんです。

 

これは自分も気を付けないとと感じるんですが(職人気質なんで、スピード感が遅いのは自覚してるw)

 

完璧を求めすぎると何も行動出来なくなります。

 

むしろ、完璧でない暗さ、

 

自分の中の出来ないという

見たくない影の部分(陰翳)も、

 

全部まるっと受け入れ(礼賛)しちゃって、

開き直った方が、行動に結びつけれるので

人生が変わるスピードもけた違いです。

 

出来なくて、泥臭くて、ダメだという姿から生まれる独特のたくましさもある。

 

出来ないやつが必死にもがき、目標に、向かってあがく姿、その額に流れる汗こそが、  

 

人間の挑戦の姿

 

そのものだと思いますし、

 

そんなやつこそカッコいい。

 

どれほど格好悪くてもあがいて

登ろうとする人を自分は絶対に笑えません。

 

それをあざけり、笑い飛ばす人間は、

なにかに本気になったことがないんだと思います。

 

これも仕方ないと思うんですが、

他人を笑ってる暇があるなら、

 

自分が死ぬ最後に生きてよかった!

と笑えるよう、

 

今、この瞬間を生きればいい。

 

一度しかない人生で、

最後のエンディングロールを迎えたとき、

後悔のない人生にしたいじゃないですか。

 

多くの人は、

自分の中の出来ない、

欠点としての

 

暗さや影(陰翳)

に飲まれている人が

たくさんいるなと感じます。

 

そんな時は、

自分の中の暗さも影も、

全部まるまると受け入れちゃえばいいんです。

 

その瞬間って、実は

陰陽がひとつになる瞬間

なんですね。

 

不完全であるがゆえに

完全である形

 

が出来上がるんですが、

このマインド構築は、もっと自分の人生やビジネスをフライトさせるのに効果的な考えです。

 

人間なんて

そんな完璧に物事こなせるスーパーマンじゃない

んですから、

 

ダメなところも受け入れて、

そのなかで最善の一手を選択していけばいい。

 

東洋的な自然体としての自分を受け入れて、

そっから、一歩一歩進んでいけばいい。

 

牛のようなのっそりとした牛歩

でもいいと思います。

 

遅くとも

前には進んでいるので。

 

ちなみに、この陰翳礼讃。

 

フランスにも渡ってまして、

哲学者のフーコー曰く、

 

『濁り水にさした光のような美しさ』

 

と評されてます。

 

流石、客観的分析に重きを置いた

知の考古学の先駆者です笑

 

濁ってはいれども、そこに光るものがあると。

 

濁りまくった状態でも、

現実ではどんどん動いていきましょう!

 

そうしたら見えてくる景色があると思うんで。

 

それでは!

小川